「もっと働く時間が短ければ」「早く引退できれば」——私たちは幸福を、労働の時間の長さで測りがちだ。だが労働時間と退職年齢という2つの時間軸を追った研究群は、意外な共通点にたどり着く。幸福を左右していたのは、何時間働くか・何歳まで働くかという「量」ではなく、それを自分で選べているかという「自律性」だった。
労働時間と満足度の逆U字、そして長時間労働でも幸福な人がいるという逆説の正体(=所得)、最も一貫して幸福を下げる「働きたいのに働けない」過少雇用、退職では自発的退職は幸福を上げも下げもしない一方、強制退職は明確に不幸という発見、そして「段階的退職がいい」という通説の否定まで。2つの時間軸を貫く「自律性」の経済学。
直感的にはこう思える。労働時間が短いほど、自由な時間が増えて幸福になるはずだ、と。だが研究が描く関係は、まっすぐな下り坂ではなかった。
労働時間と主観的幸福の関係を調べた多くの研究が見出すのは、逆U字の形だ。働く時間がごく短い領域では、幸福はむしろ低い。そこから労働時間が増えるにつれて幸福は上がり、ある最適点でピークに達し、それを超えて長時間になると再び下がっていく。仕事は、収入だけでなく、社会的なつながり、生活のリズム、役割の感覚といった「それ自体の効用」を持っている。だから働かなさすぎても、人は満たされないことがある。
実際、複数の研究は、週に35〜50時間程度——つまり標準的なフルタイムの範囲——が、幸福ともっともよく結びつくと報告している。極端に短くても、極端に長くてもない、中庸のあたりだ。これは前提として押さえておきたい。「労働時間はゼロに近いほど幸福」という素朴なモデルは、データに支持されない。問題は、この逆U字の内側で、いったい何が効いているのかだ。
ここで、逆U字だけでは説明できない奇妙な発見が現れる。非常に長い時間働く人々の幸福が、むしろ高いことがあるのだ。
米国の総合社会調査(1972〜2012年)を分析したゴールデンとオクリッチ=コザリンの研究は、いくつものニュアンスを明らかにした。週40時間を少し超えるあたりで幸福が下がる一方、非常に長時間働く層では幸福が高いという関係が見られた。だが決定的なのはその先だ。この「長時間労働者の幸福」は、そのほぼすべてが所得の高さによって説明された。長く働くこと自体が人を幸福にするのではなく、長く働く人が高い所得を得ており、その所得が幸福を支えていた。時間を取り除いて所得だけを見れば、長時間労働の魔法は消える。
そしてこの研究の、もっとも一貫した発見はこうだ。労働時間の長短そのものよりも、「働きたいのに十分に働けない」過少雇用(underemployment)が、一貫して幸福を下げていた。希望より短い時間しか働けない人は、時間の長短にかかわらず満足度が低い。逆に言えば、人を苦しめているのは時間の量そのものというより、希望と現実のミスマッチなのだ。さらにこの研究は、自分の勤務スケジュールを自分で設定できること——時間の裁量——が、あらゆる条件を通じて強く幸福と結びつくことも示した。ここで「自律性」という言葉が初めて顔を出す。
最初の手がかり。労働時間と幸福の関係で効いていたのは、時間の絶対量だけではなかった。所得、希望とのマッチ、そして時間を自分で決められるかという裁量——これらが時間の裏で働いていた。
もう一つの時間軸に移ろう。1日や1週間の労働時間ではなく、人生のスケールで「何歳まで働くか」。引退すれば人は幸福になるのか。
ここでも直感は裏切られる。ドイツの大規模パネルデータ(1995〜2010年)を分析した研究は、自発的な退職は、生活満足度に全体としては有意な影響を与えないことを見出した。退職すると自由時間への満足は上がるが、同時に収入への満足は下がる。この2つが相殺し合って、総合的な生活満足度はほぼ変わらない。「引退すれば幸せになれる」という期待は、平均的には的中しない。自由は増えるが、別の何かが減るからだ。
ところが、ここに決定的な分岐がある。同じ退職でも、それが非自発的——健康上の理由や組織の都合による強制的なもの——である場合、生活満足度は明確に低下した。オランダの研究でも同じ構図が確認されている。自ら選んで職を離れた人は、働き続けた人より満足度が高い一方、強制的に離職させられた人の満足度は、最も低かった。退職という同じ出来事が、それが自分の選択かどうかで、幸福への効果を正反対に変える。
退職をめぐっては、もっともらしい通説がある。急に辞めるより、徐々に労働時間を減らして引退するほうが、適応がスムーズで幸福だ、というものだ。だが研究はこれを支持しなかった。
米国の健康退職研究(HRS)の縦断データを用いたカルボらの分析は、フルタイムからいきなり完全退職へ移る「コールドターキー」型と、パートタイムを経由する段階的退職型を比較した。政策立案者がしばしば主張する「段階的退職のほうが幸福」という説に、支持は見つからなかった。効いていたのは、移行が段階的かどうかではなく、それが自発的(選んだもの)か非自発的(強制されたもの)かだった。
もう一つ、希望を持てる発見がある。非自発的退職による幸福の落ち込みは、深刻ではあるが永続的ではない。10年にわたって追跡した研究は、強制退職の直後に大きな満足度の低下が起きるものの、その後の数年でほぼ完全に回復することを示した。人間には、望まぬ変化にも適応していく力がある。とはいえ、その回復には数年という時間の代償がかかる。避けられるなら避けたい落ち込みであることに変わりはない。
補足として、退職後の幸福には性格も関わる。外向的な人は自尊心・自律性・社会的支援を通じて満足度が上がりやすく、神経症傾向の高い人は適応に苦労しやすいという縦断研究がある。「何歳で辞めるか」という一律の最適解が存在しないのは、こうした個人差のためでもある。
労働時間と退職年齢。まったく別の2つの時間軸を並べると、同じ一本の芯が浮かび上がる。
労働時間の側で効いていたのは、時間の絶対量そのものより、希望とのマッチ(過少雇用でないか)と、スケジュールの裁量(自分で決められるか)だった。退職の側で効いていたのは、何歳で辞めるかや段階性ではなく、それが自発的な選択かどうかだった。どちらの時間軸でも、幸福を決めていたのは「何時間か」「何歳までか」という量ではなく、それを自分で選べているかという自律性だった。
これは、SURPLUSがすでに別の記事で出会った原理と同じものだ。動機づけ研究の自己決定理論(Deci & Ryan)は、人の幸福が自律性・有能感・関係性という3つの基本欲求に支えられると説く。その筆頭が自律性——自分の行動を自分で選んでいるという感覚だ。「続く設計」の記事で見た、外から追い込まれるより自分で選んだほうが続く、という話。余暇の記事で見た、同じ自由時間でも目的を持って選べば幸福が違う、という話。それらと、この労働時間・退職の話は、地下水脈でつながっている。時間をめぐる幸福の問いは、たいてい自律性の問いに化ける。
つまり。「週何時間が幸せか」「何歳で引退すべきか」という問いの立て方が、そもそも半分ずれている。同じ40時間でも、同じ65歳退職でも、それが強いられたものか、自ら選んだものかで、幸福への意味は正反対になる。量を最適化する前に、選べているかを問うべきだった。
なぜ私たちは、時間の量ばかりを問うてしまうのか。それは、量が測れるからだ。
労働時間は、時計で測れる。退職年齢は、暦で数えられる。だから政策も、企業も、個人の人生設計も、「週何時間」「何歳定年」という測れる数字を最適化しようとする。労働時間の上限規制、定年制度、段階的退職プログラム——いずれも時間という測れる変数を動かす試みだ。ところが、その裏で本当に幸福を決めていた変数——その時間配分を、どれだけ自分で選べているか——は、数字にならず、統計欄を持たず、制度設計から抜け落ちやすい。
これは、SURPLUSが繰り返し見てきた構図そのものだ。共食の記事では味は測れるがつながりは測れず、子どもの記事では学力は測れるが情緒的健康は測れなかった。ここでも、時間の量は測れるが、選択の自由度は測れない。測れるものが最適化され、測れない土台が見過ごされる。四日制勤務や早期退職が万能薬にならないのは、それらが時間という測れる面だけを動かし、自律性という測れない核心に届くとは限らないからだ。時短を導入しても、それが上から強制された画一的なものなら、自律性はむしろ損なわれうる。
結論。働く時間は短いほど幸せか。何歳まで働くと幸せか。研究が示す答えは、どちらも「時間の量では決まらない」だ。決めていたのは、その時間を自分で選べているかという自律性だった。問うべきは「何時間か」ではなく「選べているか」。測れる時間の最適化に走る前に、測れない選択の自由をどう守るかを考えること——そこに、時間をめぐる幸福の本当の鍵がある。
補足。本記事の知見はいずれも相関を中心としたものであり、労働時間や退職の効果は文化・制度・個人差に大きく依存する。とくに過少雇用や強制退職の背後には、しばしば本人が選べない経済的・健康的な制約があり、「自律性が大事」という結論を個人の努力の問題に矮小化してはならない。自律性を持てる人と持てない人がいること自体が、制度と社会の課題である。本記事は特定の働き方や退職時期を推奨・否定するものではない。
この記事が依拠する研究と、その源流。矢印は「依拠する親」を指す。労働時間も退職も、自己決定理論(自律性)の枝に連なる。
本記事の要約・引用元。数値は各文献の概算値に基づく。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
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