前回(格差のウソ)で見たのは、自動化やデジタルが生む「見えない豊かさ」が、思ったより広く配られているという話だった。では、その豊かさを生み出す機械そのものに、税金をかけるべきなのか? ビル・ゲイツが火をつけ、経済学者が猛反発し、そして最新の理論が意外な答えを出した——「ロボット税」という論争の全体像。
ゲイツの直感がなぜ多くの人を惹きつけたか、そしてなぜ大半の経済学者が反対したかを、両側フェアに整理する視点。さらに、賛成・反対どちらの直感も裏切る「最適なロボット税は、正だが小さく、やがてゼロ」という最新研究の結論まで。「機械に課税するか」ではなく「自動化の果実を誰が取るか」という本当の問いが見えてくる。
2017年2月、ビル・ゲイツがあるインタビューで放った一言が、世界中で議論を巻き起こした。要約すればこうだ。
——工場で働く人間には、給料に対して所得税や社会保険料がかかる。ではその人間と同じ仕事をするロボットを導入したら? 会社は人件費と一緒に、その税収も丸ごと消してしまう。ならばロボットにも、人間と同じくらい課税すべきではないか。
ゲイツの狙いは2つ。ひとつは、自動化で職を失う人々の再訓練やセーフティネットの財源を確保すること。もうひとつは、自動化のスピードを少し緩めて、社会が適応する時間を稼ぐことだった。直感的で、道徳的で、分かりやすい。多くの人が「たしかに」と頷いた。
ここに正義の匂いがある。人間の労働にだけ重く課税し、それを代替する機械を無税で優遇するのは、たしかに不公平に見える。だが——経済学者の多くは、この直感に真っ向から反対した。
主流派の経済学者たちの反論は、ひとことで言えばこうだ。「ロボットを特別扱いするな」。
彼らの論理を分解するとこうなる。
ロボットも、トラクターも、表計算ソフトも、経済学的には同じ「資本(生産のための道具)」だ。ロボットだけを狙い撃ちする理由がない。しかも「どこからがロボットか」を法的に定義するのは、ほぼ不可能に近い。
ロボットは、より少ない労力でより多くを生む。その生産性そのものに罰金をかければ、パイ全体が小さくなる。パイを大きくしてから分けた方が、みんなが豊かになれる——これが反対派の核心だ。
格差が問題なら、機械を止めるのではなく、自動化で膨らんだ利益や富の側に累進的に課税すればいい。ラリー・サマーズら反対派は「ロボットは富の創造者だ。それに課税するのは筋が悪い」と論じた。
この反論は制度にも反映された。EU議会は2016〜17年、法務委員会のマディ・デルヴォー議員がまとめたロボットに関する報告書を審議したが、そこに含まれていた「ロボット税」の条項は、採決で否決された。少なくとも当時の政治は、経済学者の側に立った。
「ロボット税は筋が悪い」で話は終わった——かに見えた。ところが、数理モデルを精密に組んだ経済学者たちが、賛成・反対どちらの直感も裏切る結論を出してくる。
MITのダロン・アセモグルらは、こう指摘する。現行(特に米国)の税制は、労働には重く、資本には軽く課税している。だから企業は「社会的に最適な水準より過剰に」自動化へ傾く。つまり出発点は「ロボット無税=中立」ではなく、すでに自動化に偏った土俵なのだ。
ウーヴェ・トゥメルの論文『Optimal Taxation of Robots』は、モデルを米国データで較正した。結論は繊細だ。ロボットが高価なうちは補助金が最適だが、安くなるにつれて課税が最適になる。ただしその税率は小さく、そしてやがてゼロへ近づく。ゲイツが言うほど大きくはない。
トゥメルのモデルで、ロボット税が効く理屈はやや意外だ。ロボット税は賃金構造を圧縮し、労働所得税の歪みを和らげるから効く。だが本命の道具はあくまで累進的な所得税であり、ロボット税はその補助的な微調整にすぎない。
こうして並べると、ロボット税をめぐる論争の正体が見えてくる。それは「機械に課税するか否か」ではなかった。本当の争点は、自動化が生み出す巨大な果実——余剰——を、誰が、どれだけ受け取るかだ。
前回のデジタル厚生の話を思い出してほしい。自動化やAIは、途方もない「見えない豊かさ」を生む。問題は、その果実が放っておくと機械を所有する側に集中しやすいことだ。ロボット税は、その集中を少しだけ組み替えるための、数ある道具の一つにすぎない。
つまり全員が、半分ずつ正しかった。「ロボット税は是か非か」という二択は、問いの立て方が粗すぎたのだ。本当に問うべきは、自動化が生む見えない豊かさを、どの道具で、どれだけ社会に配り直すか——という設計の問題だった。
ロボット税の物語が教えるのは、豊かさの問題はたいてい「生産」ではなく「分配」の問題だということだ。機械はパイを大きくする。憎むべき相手ではない。問われているのは、その大きくなったパイを、私たちがどう切り分けるかという設計の意思だ。
ゲイツの直感は、道具の選び方こそ粗かったが、根っこの問題意識——「果実は偏る、だから配り直す仕組みが要る」——は、経済学者も共有していた。論争が浮かび上がらせたのは、対立ではなく、むしろ合意の輪郭だったのかもしれない。
次に「AIに仕事を奪われる」と聞いたとき。問いを一段ずらしてみてほしい。奪われるのは仕事か、それとも果実の分け前か。前者は技術の話だが、後者は私たちが選べる設計の話だ。
そしてこのシリーズでは、いずれ、この「果実」がいま最も激しく、しかし統計には映らない形で膨らんでいる現場も見ていく。AIはこれほど凄いのに、なぜ僕たちの給料(GDP)は1ミリも上がらないのか——2026年リアルタイムの「生産性のパラドックス」の話だ。
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