経済が力強く成長している——そのさなかに、人々の背は縮んでいた。産業革命のイギリスで、実際に起きたことだ。前回(言葉で測る幸福)では、書籍の言葉から過去の気分を復元した。だが言葉すら残っていない、もっと古い時代はどうするか。経済史家が使うのは、究極に物質的な物差し——土から掘り出した人骨の、身長だ。そしてそれは、「時代が進むほど豊かになった」という常識を静かに裏切る。
身長を「生活の質」の物差しにする「生物学的生活水準」という発想。なぜ身長が栄養と幼少期のストレスを映すのか。そして直感を裏切る事実——農耕への移行期も、産業革命の初期も、経済が伸びる裏で人々の背は縮んでいた。GDPの右肩上がりと、そこに生きた人の身体は、別物だった。
アンケートも日記もない時代は、残された言葉から気分を測れた。だが、大量の書籍が印刷される以前——中世や古代、あるいは文字を持たない集団の暮らしは、どう測ればいいのか。
ここで経済史家が使うのが、究極にシンプルで頑丈な物差し、身長だ。これを 「生物学的生活水準(biological standard of living)」 と呼ぶ。所得や物価のデータが一切なくても、人骨さえ出土すれば、その時代の暮らしの質を推し量れる。
なぜ身長なのか。それは、身長がお金では買えない生活の質——十分な栄養、病気の少なさ、過酷でない労働——を、身体そのものに刻み込むからだ。財布の中身ではなく、身体の記録。だからこそ、値札の外側にある豊かさを測るこのシリーズと、相性がいい。
理屈はシンプルで、そして頑丈だ。幼少期の栄養状態とストレスは、大人になったときの身長に直接あらわれる。
成長期に十分なタンパク質と栄養を摂れた世代は、遺伝的な上限に近いところまで背が伸びる。逆に、飢えや偏った食生活の中で育つと、身体は成長より生存を優先して、背が伸びきらない。
幼い頃に感染症を繰り返したり、早くから過酷な労働に就いたりすると、成長に回るはずのエネルギーがそこで奪われる。人口が密集し衛生の悪い環境は、栄養が足りていても身長を縮める。
遺跡から出土する人骨の長さ、あるいは近代の徴兵記録に残された兵士の身長。これらを集めて平均をとれば、所得統計のない時代でも「その世代がどんな暮らしをしていたか」が読める。身体は、噓をつかない台帳だ。
この物差しを当てると、衝撃的な事実が見えてくる。「時代が進むほど人類は豊かになった」とは、必ずしも言えない。経済が成長している最中に、人々の背が縮んだ時代が、何度もあったのだ。
スタックルやコムロスといった経済史家が積み上げてきたこの研究は、「経済成長=人々の幸福」という素朴な等式に、身体という動かぬ証拠で待ったをかける。豊かさは、統計のグラフのようにまっすぐ上へは伸びてこなかった。
ここが、このシリーズの核心に触れる。GDPが右肩上がりでも、実際に生きた人の身体は縮んでいた。生産量の統計と、生活の質は違う——身長という物差しは、それを1センチ単位の冷たい事実として突きつけてくる。
ここまでの議論を、日本の公表値で小さく確かめてみよう。文部科学省「学校保健統計調査」から、条件をそろえられる 17歳・全国・男女別の平均身長だけを抜き出した。
| 年度 | 男子 | 女子 |
|---|---|---|
| 2012(平成24) | 170.7 | 158.0 |
| 2019(令和元) | 170.6 | 157.9 |
| 2022(令和4) | 170.7 | 158.0 |
| 2023(令和5) | 170.7 | 158.0 |
出典:文科省 平成24年度、令和元年度、令和4年度、令和5年度。表の転記値と加工手順は evidence/ に保存。
この4点だけを見ると、2012年度から2023年度までの差は男子 ±0.0 cm、女子 ±0.0 cm(小数第1位表示)で、少なくともこの期間の17歳平均はほぼ横ばいだった。2019年度に男子0.1 cm、女子0.1 cm低い値が見えるが、これはこの集計から因果を読み取れる大きさではない。
相関と因果を分ける。身長は幼少期の栄養や疾病負荷などの影響を受ける有用な指標だが、この表は所得、栄養、感染症、都市化を測っていない。したがって「所得が増えたから身長が伸びた」「都市化が身長を縮めた」とは言えない。ここで確認できるのは、条件をそろえた日本の17歳平均が近年ほぼ横ばいだという記述的な事実までである。
国際研究の「成長する経済の中で縮む」という結論は、GDPと生活の質を分けて考える視点を日本にも与える。一方、日本のこの小系列は戦前の徴兵記録や古人骨とは対象集団・測定制度が異なり、産業革命期イギリスの結果をそのまま再現するものではない。日本についてさらに問うなら、所得、食料価格、疾病、地域差などを同じ期間・同じ母集団で突き合わせる必要がある。
前回の言葉と、今回の身体。まったく異なる2つの物差しが、同じ一つのことを指している。人類の豊かさや幸福は、時代とともに一直線に増えてきたわけではないということだ。
戦争、不況、産業構造の激変、労働環境の悪化——GDPのグラフが右肩上がりを描いている裏側で、人々の気分は沈み、身体は縮んだ時期がある。第1回で言った「絶対的な尺度」とは、まさにこういう道具のことだ。相対的な印象論ではなく、言葉の統計や骨の長さという、動かせない物差しで測るからこそ、「あの時代は本当に後退していた」と言い切れる。
絶対の物差しは、都合よくない。それは「昔より今の方が豊か」という心地よい物語を裏付けることもあれば、「成長の裏で人々は縮んでいた」という不都合な事実を突きつけることもある。だからこそ、信頼に値する。願望ではなく、痕跡に語らせているのだから。
身長という物差しが教えるのは、少し謙虚な事実だ。「新しい時代は、必ず前より良い」わけではない。農業も、工業も、人類の大きな前進とされる出来事の初期には、そこに生きた人々の身体が、確かに代償を払っていた。
だがそれは、悲観の話ではない。むしろ逆だ。こういう物差しを持っているからこそ、私たちは「本当に良くなったのか」を、願望抜きで確かめられる。そして長い目で見れば、王様が買えなかった薬を100円で手にする現代まで、豊かさは(でこぼこしながらも)確かに積み上がってきた。大事なのは、その凸凹から目をそらさないことだ。
次に「昔は良かった/今が最高だ」と言いたくなったら。思い出してほしい。言葉は気分を、骨は身体を、正直に記録している。豊かさは物語ではなく、測れる事実だ。そして測ってみると、歴史はいつも、単純な右肩上がりよりずっと面白い。
本記事の要約・引用元。数値・解釈は各文献の概要に基づく。
連載の主要記事を1冊に再構成し、書き下ろしを加えたKindle本です。数字では測りにくい豊かさを、所得・時間・関係・自由の視点から読み直します。
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